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「中目黒がいいよ、中目黒」
何か確信を持った顔で、彼女は言う。
自由が丘駅が一望できるカフェ。彼女がひとり暮らしをしているアパートから7~8分歩いたその場所で、僕らは未来の作戦会議をしていた。
「なんで、中目黒?」
あまり良い印象がないその街に住みたがる理由を、彼女に尋ねる。
「蔦屋書店ができたばっかりで、楽しいから」
実にシンプルで、何の説得力もない回答を、さも当然のように答えた。
「でた、東京憧れミーハーガール」
「いやいやいや、わかってない。いいですか? たとえば終電まで飲んだ帰り道、ふたりで最寄駅に着いたら何がしたい?」
「まっすぐ帰って、シャワー浴びて、して、寝る」
「なにそれ、つまんな!」
「じゃあ、シャワー浴びる前に、する……?」
「バカなんじゃないの」
「すみません」
いつもほとんどの会話で僕が謝って終わるのは、僕がボケ担当であり、彼女が(とても鋭い)ツッコミ担当であることが、1年半前からなんとなく決まっているからである。
出会ったのは、2年前だった。
25歳だった僕と23歳だった彼女は、俗にいう異業種交流会(間違っても合コンではない)で意識高く対面し、意識低く酒を飲んで意気投合した。周りが「どうしたら世界で活躍できる人材になれるか」というテーマで盛り上がるなか、僕らは「会社のパソコンがインターネットエクスプローラーしか使えない」という共通項を見つけて大はしゃぎしていた。
翌週には、「ブラック企業勤めのわたしたちにピッタリかもしれない」という話により、ふたりで映画の『マイ・インターン』を見に行った。そこそこ感動していた僕をよそに「あのハッピーエンドは強引すぎる」といつまでも文句を言う彼女に何故か惹かれ、その翌週にはお互いを彼氏・彼女だと認識するようになっていた。
ドラマチックでもなんでもなかった。お互い、地方から上京してきた身で、僕は上板橋にある何の変哲もない住宅街に住み、彼女は自由が丘の閑静な高級住宅街に住んでいた。僕は無印良品とニトリで揃えた部屋に住み、彼女はfrancfrancとIKEAの家具に囲まれた家に住んだ。とにかく無難に歩む僕と、何かと可憐な生き方を望む彼女が、無難にも可憐にも生きられる東京という街でひっそりと出会った。
「もう、ふたりで住んだほうが早くない?」
同棲という選択を重く考える理由なんて、僕らにはなかった。
立地の関係で彼女の家に泊まることは多かったものの、入り浸ることは極力避けていた僕は、二拠点生活のような暮らしにも辟易としてしまっていた。その日も、どの荷物を自宅に持ち帰り、どの靴を彼女の家に置いていこうか悩んでいたところだった。
「あと2カ月くらいで契約更新だから、そのタイミングで、少し広めの部屋を借りようよ」
理想的と思えたその提案を断るわけもなく、僕らは同棲生活に向けて動き出した。
そして今、第1回同棲会議として、彼女の最初のプレゼンが始まったところである。
「遅くまで飲んだ日は、オシャレなカフェに入ってコーヒーを頼んで、人間観察しながらゆっくり酔い冷ましして夜に浸るのが正解に決まってるでしょ」
それが、いつだって可憐でロマンチックを求める彼女が、中目黒に住みたい理由だった。
「だったら、代官山でも良くない? てか、オシャレなカフェならどこでもあるよね? 今なら清澄白河とか」
僕は僕なりの正論をぶつける。しかし、それは彼女にとっての想定質問だったらしい。
「じゃあ、春になったら何がしたいですか?」
「んー、花見とか?」
「はい、目黒川があります! これで中目黒決定ッ!」
「いや、目黒川なんて絶対混んでるじゃん。近所に住むと面倒くさいだけだよ。まだ神田川の方がすいてるかも……」
「うわー、無難、ほんっと無難!」
「だって、事実でしょ」
「むしろ、混んでるなか歩くことが楽しいでしょ! 花火大会だって、みんなが集まってるから“大会”じゃない?」
「いや、大会だから、人が集まるんだよ」
「あーもう、そういう話をしてるんじゃないんです」
「なんなんだよ」
珍しく僕がツッコんだ。
女子は理屈や論理では動かないときがある。とくに彼女に関しては、ノリが全ての節もあった。普段から石橋を全力で叩いた末、叩きすぎて不安になったから渡らないこともある僕にとって、彼女のそれはやかましくも羨ましく感じられた。
「だから、中目黒にしようよ」
改めて、彼女は言った。
僕は少し考えてから、条件を伝える。
「じゃあ、1LDK以上で、家賃が11万を超えないこと。ワンルームだったら、即却下」
「お! その条件に当てはまれば、中目黒に住んでいい!?」
「まあ、いいよ。俺、住みたい街とか、そんなにないから」
彼女の瞳が一層大きくなる。喜怒哀楽の振り切れ方がどれも大袈裟なくらいなのが、彼女を見ていて飽きない理由のひとつでもある。
「はい! 探します! 絶対見つけるから! やったー中目黒―!!!」
こうして期待ばかりが膨らんだ状態で、自由が丘での作戦会議は終わった。
店を出ると、家族連れで賑わう駅前の喧騒に巻き込まれる。
そこから逃げ出すように足早に路地へ抜けると、欧州を意識したと思われる、緑道とベンチが中央に並んだ優雅な商店街にぶつかる。
そうして僕らは通い慣れた彼女の家へと向かう。
その足は、人生初めての同棲生活に向けて、浮き足立っていた。
【次回】
同棲先候補として挙がった中目黒。「ふたり暮らし」という小さな人生の分岐点に立つふたりは、果たして理想の暮らしをスタートできるのでしょうか。次号、実際に同棲生活を始めたふたりの姿を追います。