富岡製糸場は1872年(明治5)に明治政府が製糸業の近代化を図るために設立した官営模範工場でした。特徴のある建物群は、140年以上経った現在もほぼ建設当初の状態で保存されています。今もなお美しい佇まいを残す富岡製糸場の設立には、じつはフランスという国が大きく関係しています。建物群に秘められた日仏の素敵な物語を紹介します。
-大人の社会科見学-2014年にユネスコ世界遺産に登録された富岡製糸場へ。
明治末期、日本は生糸の生産量・輸出量ともに世界一に。
その源泉となった富岡製糸場と絹産業遺産群
多くのフランス人技術者の協力によって完成した
「木骨煉瓦造(もっこつれんがぞう)」の建物群
初期に建設された主な建物は、木の骨組みの間に煉瓦を積み上げ壁を成す「木骨煉瓦造(もっこつれんがぞう)」という工法で建てられています。これは幕末にフランス海軍の協力によって造られた横須賀製鉄所に導入された技術です。
小屋組みにはトラス構造が用いられており、繰糸場には中央に柱のない大空間が広がっています。また、当時の日本はまだ照明設備が不十分であったため、繰糸場にはガラス窓を多用し、自然光が最大限に利用されています。明治初期に造られた木骨煉瓦造建築で、大規模なものとしては日本で唯一完全な形で残る貴重な文化財です。
工場建設にあたり技術指導には器械製糸の先進国、フランスの技術者を招き入れました。設立の指導者として生糸に精通したポール・ブリュナと契約を結び、また建物の設計のために横須賀製鉄所の製図工だったオーギュスト・バスティアンを雇い入れました。その他にも、生糸検査人、技術者、繰糸教師、医師らがブリュナの人選によってフランス本国から招かれ、富岡製糸場の設立や操業に関わりました。
建築資材は日本で調達できない一部を除き、現地で調達されました。建物群に使用されている煉瓦は、フランス人指導者の指導のもと日本の瓦職人が隣町で作りました。一方、日本人の体型に合わせた300人取りの繰糸器械や動力用の蒸気エンジン、ガラスや鉄製の窓枠などはフランスから輸入されました。
富岡製糸場を彩る特徴的なあの美しい煉瓦は、フランス人の技術者と日本の瓦職人の手によって作り上げられたものです。
今から140年以上も前に、遠い異国の地に来日したフランス人技術者と日本人の交流に思いを馳せながら、世界遺産を眺める。「富岡製糸場」へ“大人の社会科見学”に出かけてみてはいかがでしょうか。
INFORMATION
富岡製糸場
群馬県富岡市富岡1丁目1
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