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神様がいた頃の日本人の暮らし方 | 自然の中に神様を見つけていた頃の暮らし

■木が神様ってどういうこと?

日本人は昔から、木や岩を神様だと思って信仰してきたことを知っていますか?昔の人たちは目には見えないけれど尊い何かが宿るとして、自然を祈りの対象としてきました。

現代でも注連縄(しめなわ)が張ってある木を見ると、それが特別なものだとわかりますよね。たとえ注連縄がなくても、近所の人が通り過ぎるときに手を合わせていく木や、樹齢数百年規模の巨木を目にすると、圧倒されたり包み込まれるような不思議な感覚ってありませんか?

▲京都の貴船神社の御神木「相生の大杉」

そのようにして、日本人は身近にある木の中に神様を見出して暮らしてきました。また、木だけではなく山を神様とすることもあります。日本最古の神社の1つ、奈良の大神(おおみわ)神社は本殿を持たず、拝殿からご神体の三輪山を拝むような形になっています。山自体を神様として祀っている神社があるなんて驚きですよね。

日本では古くからの信仰で、あらゆるものに魂が宿るとして自然が慈しまれています。木、山、岩、河など自然界に当たり前に存在するものの中に、私たちの祖先は尊いものを見出してきました。日本の神様は自然の中にいるのです。

■勤労感謝の日のルーツは新嘗祭(にいなめさい)?

今では季節に関係なく、あらゆる食べ物を手に入れられる時代になりましたが、昔の暮らしは違いました。自分たちで畑仕事をする農耕社会では天候不良は死活問題だったのです。生きていくためには主食のお米が育ってくれないと困りますし、せっかく育った作物も天候に左右されてダメになってしまうことも多かったわけです。そこで日本の各地では、人智を超える存在に豊作を祈るようになっていきました。

11月23日は勤労感謝の日ですが、実はこの日は戦後に名前を改められたものだと知っていましたか?もともとは新嘗祭(にいなめさい)という収穫を祝うまつりごとをしている日なのです。

これは宮中祭祀の中でも最も重要な神事で、具体的には天皇陛下が新穀で神様をもてなすと共に、ご自身も新穀をいただくことによってその年の収穫に感謝します。言い方を変えると、天皇陛下の行われる最も重要な仕事の1つがこの新嘗祭なのです。

今年は天皇陛下が代わる貴重な年。天皇即位の礼の後にはじめて行う新嘗祭は大嘗祭(だいじょうさい)と呼ばれ、大規模に行われます。2019年はめったに経験できない歴史的瞬間の訪れる1年になりますよ。

■お祭りの起源は豊作のお願い?

農業の神様は冬は山に住んでいて、春になると里に降りてきて豊作をもたらしてくれると考えられてきました。だから捧げものをしたり、お祭りをして神様を喜ばせる努力をしてきました。最近のお祭りは、宗教的な意味は建前となって娯楽性が追求されがちです。それも悪いことではありませんが、本来の姿を伝え続けているお祭りもあります。

大阪の住吉大社の御田植神事(おたうえしんじ)は豊作を祈るもので、巫女さん達の華やかな八乙女舞(やおとめまい)や子どもたちの踊りなどで賑やかですし、埼玉の白鬚神社(しらひげじんじゃ)の脚折雨乞(すねおりあまごい)では大勢の男性に担がれた巨大な龍神が練り歩く姿は相当な見応えがあります。

▲大阪・御田植神事の田植えの様子

▲斑鳩神社のお神輿は法隆寺の境内に入って行く

またご存知かもしれませんが、相撲だってスポーツや娯楽である以前に、もとは豊作を祈る目的で奉納された神事でした。四股を踏む動作は本来、大地の厄を祓うとともに大地を目覚めさせる意味があるのです。このように普段私たちが暮らしの中で何気なく享受してる文化も、自然を崇拝しているものが多いのです。

■日本人には自然崇拝をする感覚が今もある

たまに街を歩いていると、建築前の更地で地鎮祭(じちんさい)を目にすることがありませんか?これは建物を建てるときに、神様に土地を利用させていただく許しを請い、無事に工事が終わることと、建物が末永く続くことを祈るものです。

また、同様に木を切るときにお祓いをすることもあります。人間の都合で命を頂くわけなので、そのことに対する謝罪とこれまでの感謝を伝えるのです。幼い頃に、地元で愛されていた巨木が切り倒される場面に出くわしたことがあります。木がギィーっと悲鳴をあげているような気がして心苦しい想いをしたことを、幼いながらに記憶していいます。それほど自然の命を頂くことは強烈なことなのだと思いますし、粗末に扱うとバチが当たりそうな気がしてしまう感覚は、自然と共存してきた日本人には特に強いのかもしれませんね。

▲地鎮祭の一例

私たちは初詣に行ったり、車を買いかえればお祓いをしますし、雑誌の占いコーナーを読んだりもします。朝の情報番組でラッキーカラーを知れば、なんとなく1日その色を意識してしまうこともあるかもしれません。そういう見えない世界に対する考えというのは、誰に教えられるでもなく、生まれたときから自然と備わっている感覚なのです。大地震や台風、津波など、人智の及ばぬ自然現象を畏れて崇める。それはとても自然なことなのだと思います。

一方で近年は目に見えない存在に都合良くご利益を期待する考えがもてはやされているように感じています。私たちはあまりに豊かになりすぎて、自然の恵みにいかされているということを忘れがちになっていますが、かつてのように自然を正しく畏れ、敬うことが大切なのかもしれないですね。

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