天守閣の住み心地 | 天守閣の住み心地 vol.1天守閣に住んだのは唯一、織田信長だけ? 幻の「安土城天主」その“住み心地”を考察してみる
かつて、日本には様々な城が築かれた。その多くが立派な「天守閣」を有している。歴史に疎い筆者はこれまで、この天守閣が“城主の住まい”だと思っていた。だって志村けんのバカ殿でも、しむけんは天主閣に暮らしていただろう。
ところが史実を紐解くと、日本の城の天守閣が居住空間として使用された例は、じつはほとんどないのだとか。なんでも、天主は「権力の象徴」であったり、「籠城戦の際に立てこもる最後の砦」としての向きが強く、そもそも居住用には作られていないとのこと。
だが、例外もある。普通は住まない天守閣で、唯一日常生活を送っていたといわれるのが織田信長である。さすがは第六天魔王(※信長の異名)だ。常識にとらわれないというか、本丸御殿という立派で住みやすそうなお屋敷がほかにあるのに、あえて一番でっかい建物に住まおうという豪胆さ。他の諸大名とはやはり一味違う。
ちなみに、安土城の天主(※当時は天主閣のことを「天主」といった。以後、天主に統一)は本能寺の変後、天主を含む本丸が焼失。ほどなく廃城となってしまったため、その詳細はナゾに包まれているのだが、さまざまな学者・研究者が“復元”を試みている。
実際のところ、安土城天主はどんな間取りで、どんな設備があり、信長はそこでどんな生活をしていたのだろうか? 安土城の「天主の住み心地」を考察すべく、現地を訪れた。
■信長は本当に「天主」に住んだのか?
というわけで、やってきたのは滋賀県近江八幡市。
JR琵琶湖線の安土駅から30分ほど歩くと、かつて安土城が築かれた安土山がこんもりとそびえている。そのふもと一帯には安土城関連の施設も集中。安土城跡や織田信長関連の展示を行う「滋賀県立安土城考古博物館」や、安土城天主5、6階部分の原寸復元を展示する「安土城天主 信長の館」もあり、信長&安土桃山ファンならもうひたすらに楽しい場所だ。
おまけに、そのお隣にあるレストランの名物は「信長ハンバーグ」である。ハンバーグのわんぱく感によって、信長の威厳が中和されているのがおかしかった。
さて、今回は滋賀県立安土城考古博物館で、貴重なお話を伺うことができた。ご対応いただいたのは、滋賀県教育委員会事務局文化財保護課の松下浩さんだ。
松下さんは安土城跡の発掘調査を行う「滋賀県安土城郭調査研究所」のメンバー。平成元年から20年にわたり行われた大規模調査では、2年目からチームに参加。担当は古文書の調査・解析である。
さっそく松下さんに聞いてみよう。ズバリ、信長は天主に住んでいたんでしょうか?
松下さん「いえ、正直なところ信長が天主に住んでいたかどうか、ハッキリとしたことは分かっていないんですよ」
ガーン…である。4時間かけてはるばる東京からやってきたが、とんだ無駄足だった。
ああそうですか、では琵琶湖でも見て帰りましょうかねと腰を上げたところ、松下さんからこんな言葉が。
松下さん「ただ、安土城にまつわる文献を読み解くことで、“おそらく天主に信長が住んだであろう”という推測は成り立ちます」
■『信長公記』から読み解く、安土城天主の姿
その文献とは、信長の家臣・太田牛一による『信長公記(しんちょうこうき)』。牛一は安土城下に屋敷を持っていたといわれ、『信長公記』には在りし日の安土城の全容、天主の詳細についても書き残されている。かつての安土城を知る、もっとも有力かつ唯一の史料であるという。
松下さん「『信長公記』によると、天主の部屋の中は障壁画で飾られていたり、金具にも装飾が施されていたりと、まるで『御殿』のように華やかなものであったといいます。本来、城主が暮らす本丸御殿に見られるような装飾が安土城の天主にもあったとの記述から、そこが御殿のような役割を果たしていたのではないか、信長が暮らしていたのではないかという推測が成り立つわけです」
ちなみに、安土城の本丸にも御殿は存在したようだ。だが、こちらは信長の居住用ではなく、また別の用途で使われていたとの説が有力であるという。
松下さん「これも『信長公記』によれば、安土城の本丸御殿は行幸の間、つまり天皇をお迎えするための部屋であったとされています。そのため、普段使いするようなものではなかった。となると、他に信長が日常的に暮らしていたのはどこなのか? やはり天主だろうと考えられます」
■安土城天主は日本初の高層住居?
では、安土城天主とはいったいどんな「住まい」だったのか? 改めてその特徴を掘り下げてみよう。
松下さん「天主は五層七階という、非常に高層でした。ちなみに安土城以前に、そこまで高い天主が城内に築かれた例はありません。おそらく安土城の天主には、それまでの権力者とは違う、自分こそが天下人であるということを内外に示す、信長の意志が込められているのではないでしょうか」
標高199メートルの安土山のてっぺん、そこに建てられた高層の天主。5階部分の外側にはぐるりと縁側が作られ、そこから周囲の景色を眺めることができた。それはもう、タワマンも真っ青の絶景だろうし、まさに天下を手中に収めたような気分だったに違いない。
松下さん「安土山は近江のほぼ真ん中に位置します。その頂にあった天主からは近江全体、琵琶湖や周囲の山々まで見渡せたのではないかと思います。それほど奥深い山城ではありませんから、周囲からも城がよく見え、逆に自分も周囲を見渡しやすい。そういう立地だったのではないでしょうか」
■迷うほどたくさんの部屋があった、天主の「間取り」
次に、天主の間取りである。『信長公記』によれば、畳敷きの部屋があったり、間取りが細かく仕切られていたりと、やはり「住まいっぽい」特徴が見られる。これらも、その他多くの天主とは一線を画す仕様だ。
松下さん「高層の建物を支えるため、多くの柱が必要だったと考えられます。となると、それを仕切る壁や襖もたくさんあり、部屋割りは細かくなっていたのではないでしょうか。他の天主のように、だだっ広いオープンな空間ではなかったのだと思います」
実際、『信長公記』には、1階部分だけで合計19の部屋があったと記されている。仮に信長の居間をリビング、食事を用意する部屋をダイニングキッチンとすると、じつに17LDKだ。他の階の部屋も合わせれば42LDKである(※物置部屋の4階は除く)。
司祭のジョアン・フランシスコは『耶蘇会士日本通信』の中で安土城について「信長も迷うほどたくさんの部屋がある」と書いたそうだが、そりゃそうだろう。筆者は住宅系の雑誌で10LDKの超高級マンションを取材したことがあるが、そこですら迷路のようだった。
成功者とは、今も昔も家で迷いがちなものである。
と、なんとなく見えてきた住まいとしての天主の姿。だが、考察できるのは残念ながらここまで。実際に信長がどの部屋でどんなふうに過ごしていたかは『信長公記』にも書かれておらず、各々が頭の中で想像するしかない。
松下さん「天主は完成からわずか3年で焼失したこともあり、『信長公記』以外に有力な史料が残っていません。安土城跡に天主を復元してほしいと望む声もありますが、実際の姿を示す“証拠”がないため、完全に再現することは難しいのです」
■名だたる学者・研究者が復元に挑むも、未だナゾ多き安土城天主
じつはこれまでにも名だたる有識者が安土城天主の復元に挑んでいる。なかでも有名なのは、工学博士の内藤昌氏が『天主指図』という絵図をもとに起こした「内藤案」だ。「安土城天主 信長の館」には5階・6階部分の原寸復元があるが、これは内藤案を基につくられたもの。写真をネットにアップすることは禁じられているため、気になる方はぜひ現地でご覧いただきたい。それはもう、ものすごい迫力だから。
ただ、この内藤案に異を唱える研究者による復元案も発表されるなど、天主の姿については諸説入り乱れ決着はついていない。未だナゾが多く、それゆえロマンあふれる城といえるかもしれない。
■まとめ
改めて、分かったことをまとめると、
●信長は安土城の天守閣に住んでいた(と、推測される)。
●天主の部屋の中は障壁画で飾られ、金具にも装飾が施されるなど、「御殿」のように華やかなものだった。
●安土城にも本丸御殿はあったが、そこは行幸の間であり、普段は使われていなかった。
●天主は五層七階の高層建築で、近江全体、琵琶湖や周囲の山々まで見渡せた。
●通常の天主には不要な、畳敷きの部屋があった。
●細かく間取りが区切られ、1階部分だけで19部屋もあった。
迷うほど部屋がいっぱいあり、壁という壁、襖という襖に美しい絵が描かれ、眺望も最高……。いやはや、すごい住居である。天下人の住まいとして、まったく申し分ない。
まあ、もっと突き詰めれば、住まいには断熱性とか風通しとか陽当たりとか、他にも大事な要素がたくさんある。もしかしたら、高所にある天主の冬は猛烈に寒かったり、逆に夏は太陽の直射日光に照らされ死ぬほど暑かったりしたかもしれない。
しかし、そんなことは関係ないのである。天主に住むという自己顕示欲の最高峰みたいな欲求は何とも信長のイメージに合うし、そうであってほしいとも思う。織田信長はやはり、天主に住むべきなのだ。
【取材協力】滋賀県教育委員会、滋賀県立安土城考古博物館、安土山保勝会
【参考文献】『発掘調査20年の記録 安土 信長の城と城下町』(滋賀県教育委員会 編著)、『信長とまぼろしの安土城』(国松俊英 著)
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