移住のリアル | 大都会から神の島へ——レモンリキュールに恋をしたある夫婦の移住物語(前編)
風光明媚なしまなみ海道に浮かぶ “神の島” 大三島
Chapter.01
愛媛県今治市から広島県尾道市を繋ぐ「しまなみ海道」。全長46.6kmの間には吸い込まれそうな広い空の下で輝く瀬戸内海の美しい水面と雄大な里山の絶景が広がる。近年サイクリストたちに愛されている中四国きっての景勝地だ。
その道中に浮かぶ島々の中で二番目に大きい大三島(おおみしま)は、一際見どころが多い島として人気が高い。日本全国に存在する山祇(やまづみ)神社の総本社であり、“神の島”と呼ばれる由来となった大山祇神社や書家・村上三島の記念館といった歴史的・文化的なスポットをはじめ、瀬戸内海が一望できる多々羅展望台や透明感あふれる多々羅海水浴場など大自然も堪能できる。
そんな大三島の瀬戸集落に県内外からファンが訪れるショップ『Limone リモーネ』がある。営むのはレモン農家兼リモンチェッロの造り手になるため、2008年に移住した山﨑学さん・知子さん夫妻だ。
イタリアでレモンに出会い、身寄りのない島にゼロからの移住を決意
Chapter.02
ふたりは学さんが東京、知子さんが横浜と、共に都会で生まれ育った。もともとふたりはレモン好き、結婚前に訪れたイタリアでレモンのリキュール「リモンチェッロ」に出合い、その味に魅了された。「日本で馴染みのないこのお酒をいつか無農薬レモンで造りたい」。そんな想いをほのかに抱きながら結婚後は、都心にあるターミナル駅の繁華街で暮らし、学さんはサービス業の会社で営業職として勤務していたサラリーマン、知子さんは派遣OLとして忙しい日々を送っていたが、学さんが40歳になる前に転機を迎える。
「昼も夜もない仕事のストレスで、中心性漿液性網脈絡膜症(ちゅうしんせい しょうえきせい もうみゃく らくまく しょう)という視力が落ちる病気になって、このまま東京で疲弊し続けていいのか考え直したんです」
それをきっかけに、もともと忙しない都会暮らしに閉塞感を感じていたふたりは、東北暮らし体験ツアーに参加する等「将来は地方暮らし」というビジョンが芽生える。その頃、たまたま商業施設で開催されていた農業人フェアで愛媛の有機栽培レモン農家に話を聞き、大三島でのレモン栽培の存在を知ることに。
試しに訪れた現地の風景に感銘を受け、就農を相談した今治市の農業振興課の熱心な勧めや、会いたかった無農薬レモン農家や既移住者に現地で話を聞けたこともあり、日に日に移住への想いが強くなる。と同時に不安も頭によぎる。
「身寄りがないところでやっていけるのか?」
「当面の収入はどうすればいい?」
「農業経験がないどころか知識もない自分にレモンが作れるのか?」
「定年退職した後の余生でもいいのでは?」
学さんは半年近く悩んだが、何事も器用にこなしていた知子さんは「人生は一度きり、とりあえずチャレンジして、ダメだったらまた戻ってくればいい」と前向きに考え、同世代の既移住者が頑張っている姿に刺激を受け、半ば駆り立てられるように一念発起。暮らしていた分譲マンションも売却し、移住を決意した。
「とにかく早く行くしかない」
待っていたのは美しい風景。そして、移住生活の厳しい現実
Chapter.03
住まいは農業振興課に探してもらい上浦町の一軒家を借りた。移住したふたりに待っていたのは、都会には無かった美しい風景。なにげない海岸沿いから眺めるオーシャンブルーや宮浦港から眺める夕景は、田舎暮らしに憧れがあったふたりには新鮮に映った。その一方で、朝が早く夜を待たずに閉店するスーパーや高いガス代、移動手段に車やバイクが必須といった都会暮らしとの生活面での違いに戸惑いながら、無農薬栽培のレモン農家で研修を始める。週に6回、研修を受けるだけでなく独学でも勉強する日々に収入はない。1年で資金は3分の1に減り、焦りはつのったが日銭稼ぎの野菜づくりやアルバイトはしなかった。
「ほかの仕事をすれば情熱がなくなってしまう」
その態度が純度を高める。研修を受けながら自らスクーターで島中を回って耕作放棄地を探したり先輩農家の紹介で畑を借り、無農薬レモン栽培を始める。
まっさらな状態ではじめた無農薬栽培の、絶えない苦労と代え難い喜び
Chapter.04
小高い傾斜にあるレモン畑に案内してもらった。足を踏み入れるとふかふかの雑草、木々にはデパートで見る綺麗なレモンとは異なり、ごつごつした大ぶりのレモンがいきいきと実っている。除草剤は使わず肥料まで有機にこだわり、JAS法で認められている農薬も使わないレモン栽培は、通常は作業の無い真夏も草刈りや摘果作業等、苦労が絶えない。しかも1年かけて育てた自然そのままのレモンを収穫する喜びは、何ものにも代えがたいと笑う。
現在は学さんが栽培を担当し、レモンのほか伊予柑、はっさく、大三島ネーブルなどの柑橘も育てている。「まだまだ実践しながら勉強中ですが、まっさらな状態で飛び込んだからこそ先入観なく吸収できたと今では思います。農地の紹介から栽培方法まで先輩農家さんや農業普及員たちの助けが無かったらここまでできませんでした」
思いを形にすることで「本当に応援してくれる人に支えられています」
Chapter.05
情熱があったからこそ呼び寄せた人の縁。だが、移住当初は人間関係に悩まされることもあった。地方は都会よりいい意味でも悪い意味でも距離感が近く、コミュニティの結びつきが強い。「あっちを立てたらこっちも立てないと」「あの人とは繋がっていた方がいい」……。人付き合いが苦手な職人肌の学さんは、そういったしがらみに悩まされることも多く、無農薬栽培でお酒造りというふたりの目立った活動は、時に批判されることもあった。
「コミュニティに溶け込むことが悪いことではありません。ただ僕らはのんびり田舎暮らしを満喫しにきたのではなく、やりたいことをやりにきたんです」
しがらみを断ち切り、移住当初からの思いを実際に形にすることで、陰ながら応援し続けてくれる人が現れ、今でも支えられていると話す。
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