移住のリアル | 大都会から神の島へ——レモンリキュールに恋をしたある夫婦の移住物語(後編)
(前編のあらすじ)
東京で暮らしていた山﨑夫妻は、レモン好きが高じて、しまなみ海道に浮かぶ愛媛県の大三島に移住。
生活を落ち着け無農薬レモン栽培を学び、ついに憧れのリモンチェッロ造りへ。次に山﨑夫妻を待っていた移住のリアルとは・・・
曲げなかった信念と偶然の出会い。「個人では前例がない」酒造免許取得
Chapter.06
ストイックなまでのこだわりはリモンチェッロ造りも変わらない。現在は自家工房で製造しているが、そこに至るまでには紆余曲折があった。
まだ農業研修を受けていた頃、「お酒が造りたい」と周りに言い続けていたら、偶然役所で出会った人の知り合いに西条市の老舗酒蔵『成龍酒造』(せいりゅうしゅぞう)の若き七代目がいると聞いた。その日たまたま試作を持っていたこともあり、知り合いに紹介してもらい、その足で蔵を訪問。リモンチェッロの存在を知らなかった七代目は興味を示してくれたが「日本酒造りで手一杯。人手も時間もないのでうちでは造れない」と最初は断られた。だが「通いながら自分たちで造らせて欲しい」と熱意を伝えたところ酒蔵の一部を借りて一緒に造らせていただくことに。大三島は今治・尾道の中間地点。酒蔵がある今治側に出るにも高速道路の料金は往復で3500円以上かかり、また酒蔵までは車で片道1時間半かかる。買い取りなので儲けはほとんどない。それでも造りたいという想いが勝った。
その後、より自分たちの理想の酒造りをするために酒造免許の取得を目指すが、「農家が自家栽培した作物でリキュール造りは前例がない」という壁が立ちはだかった。
「街のどなたかの後ろ盾があったり、町起こしを絡めるなどの地域貢献があれば簡単に取れるみたいなんですが、誰にも、何にも頼りませんでした」
まず今治市の税務署に働きかけ、市内の特産物を使用し市内で製造することで年間の最低製造数量を緩和するリキュール特区を内閣府に申請。その申請が通るまで約1年かかった。さらに、酒税法で定められた製造地の条件や、日本では確立されていない本場イタリア流のリモンチェッロの製造方法の微細に渡る解説など、様々な問題が立ちはだかった。
そういった膨大かつ煩雑な申請書類は、通常、司法書士に依頼するが「自己責任でやりたい」という思いですべて自分たちで作成し、粘り強く交渉と申請を重ね、2年がかりで酒造免許を取得。その間、夫婦での葛藤やいさかいもあった。
「移住前は夫婦の仲は良くケンカもほとんどなかったので、これなら移住しても大丈夫そう、と思っていたのですが、移住して共通の目標ができたら、より本音でぶつかり合えるようになりました。ケンカも絶えないですが」と学さんは笑う。
「自分たちが表現したい味」一つひとつが増えてって、その名は全国区へ——
Chapter.07
お酒造りはふたりで行うが最終的な味を決めるのは知子さん。本場のリモンチェッロは甘いものが多いが、「万人受けしなくてもいいから」レモン特有のほろ苦さやビター感を際立たせた独特の風味に仕上げている。また、農家だからこそ実現できる収穫時期の“旬”なレモンや柑橘の香りと味わいを大切にし、四季折々の味わいをリキュールで楽しんでもらえるよう意識している。
そんな自分たちで造ったお酒は自分たちで販売したいという考えで『Limone』をオープンさせた。もともと地元のおばあちゃんがやっていた酒屋を、壁の漆喰を塗るところからはじめ、ふたりで古民家カフェ風にリノベーション。最初は商品も少なかったが、栽培する柑橘の種類が増え、自家工房に切り替えたことで、ネーブルや伊予柑、ブラッドオレンジ等のリキュールやストレートジュース、柑橘のポン酢、さらにはクッキーにアイスモナカといったお菓子もオリジナルで製造販売するようになり、メディアからも注目を集め、その名は全国区になった。
家族が増えて体感した移住のすばらしさ。けしてラクな暮らしではないけれど
Chapter.08
お店が変わっていく中で、ふたりにも変化が訪れる。3年前、第一子が誕生した。
41歳での高齢出産。早産の帝王切開だったが、お店のリニューアルオープンのタイミングと重なり、産後休暇もゆっくり取れない激動の日々だった。
「その時の記憶が定かではないくらい大変でしたが、都会にいたら子どもを作らず働いている女性が周りに多かったので、子どもは作らなかったと思います。今は、子どもを授かれて、この自然が豊かな大三島で子育てができて本当によかったと思います」
そんなふたりの毎日はめまぐるしいほど忙しい。起床したら、子どもを保育園に送り届けて知子さんは店へ、学さんは畑へ。陽が落ちても伝票整理に書類作り、ウェブショップでのやりとりなど作業は夜まで続き、子どもと一日中触れ合える日は月に数日しかない時期もある。すべてやめたいと思ったことも一度や二度じゃない。
「それでも続けてられるのは、やりたいことに挑戦できているからです。自分たちで育てたレモンで、その土地ならではのリキュールを造ることは、都会でサラリーマンとして暮らしていたら絶対にできないこと。表現したいことを形にできる“ものづくり”の楽しさは他では味わえません」
それが移住して一番良かったことだと話す。
「今、お菓子はパティシエさんと一緒に作っていますが、より表現したい味を出すために自分で作ったり、新しいことに挑戦していきたいです」
行かない理由がなくなったとき、それが移住のタイミング
Chapter.09
日々の喜びは、わざわざ遠方から訪れるお客さんからの応援も大きい。この日も平日にもかかわらず、双子コーデに身を包んだサイクリストが目を輝かせながら、買ったばかりのリモンチェッロアイスモナカを頬張っていたが、中には移住の相談に来る人も少なくないという。そんな時、知子さんがアドバイスすることはひとつ。
「元も子もない話かもしれませんが、その相談をする、つまり、迷っている時点は、行かない理由を探している状態。それがなくなった時が行動を起こすタイミングだと思います」
学さんが続ける。
「すべて自己責任と考えること。最初から助けてもらえるという考えを捨てることが大事です。ただ、今こうしてお酒造りやお店をやっていられるのも、たくさんの方々が力になってくださったから。誰ひとり欠けても実現できなかったと思っています。この想いは忘れてはいけないと思っているんです。本当に関わってくださった全ての方々に感謝しています」
今後はやりたいことを続けながら後継者を育て、雇用を生み出して地域に貢献していきたい、と語るふたりのまっすぐな目は、まじりっけのないレモンのように澄んでいた。
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