Relife mode

Relife man | 38歳出版社勤務。過ちから逃げるように始めたランニングの先に見えた新しい自分。 そして新たな出会いからのリライフ(後編)

ゴールデンウィーク、誘われるままに参加したトレイルラン 鎌倉の山道で待っていた、順子さんとの出会い

Chapter.12

ランニングは途切れず続けて3年目に突入しました。

ある日、スポーツショップに行くと、飯倉さんから、「うちで主催しているトレイルランに参加しない?」と誘われました。いつも街中を走っているので、たまには自然の中を走るのもいいかもしれない。そんな気持ちで参加を決めました。

初めてトレイルランに参加したのは、ゴールデンウィークの初日。天気は快晴で、絶好のスポーツ日和。朝も早くから全長約7kmの天園ハイキングコースを走りました。
集まったのは、スポーツショップのスタッフ2人を含めて11人。人とのコミュニケーションに飢えていた僕は、初めて会った人たちと自己紹介をしあうだけでテンションが上がりました。職場では針のむしろですが、誰もが先入観なく自分と接してくれるのがうれしかったです。

自然の中を走るのは、思った以上に爽快なものだったし、ほとんどの参加者が普段からランニングやジョギングをしてるので、自然と仲間意識が芽生えました。

そんなメンバーの中に、僕と色違いのトレランシューズを履いている女性がいました。

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彼女の名前は、順子さん。年齢は30代前半くらいでしょうか。理学療法士の資格を持っていて、普段はスポーツマッサージとトレーニングを組み合わせた施術を行う施設で働いているそうです。

一般的に、女性はカラフルなシューズを履く傾向にあると思うのですが、彼女が履いていたシューズの色合いはブラックがベース。「珍しいな」なんて思いつつ、足元から徐々に視線を上げていき、顔を見て一瞬で目を奪われました。端的にいえばタイプだったのですが、単にそれだけではなくて……。
有名芸能人のようなボブヘアーの彼女は凛とした雰囲気をまとっていて、背筋をピンと伸ばした立ち姿が見とれるくらい素敵だったんです。視線がぶつかると、ニッコリ笑ってくれて。笑うと目じりに皺が刻まれます。僕は久々にドギマギして大慌てで目を逸らしたのですが、「あ、シューズ、お揃いですね」って声をかけてくれて。

これは運命なんじゃないかって勘違いしそうになりました。それに、順子さんは山道を走る姿が颯爽としていて、とても格好良かった。
トレイルランを終えてからは、参加者全員でカフェに入ってランチをともにしました。
僕は運良く順子さんの近くに座ることができました。順子さんは、分け隔てなく人と接する人で、初めてトレイルランに参加した僕に、都会の日常に疲れたときにトレイルランで気持ちをリフレッシュしていることや、街中を走るランニングと起伏のある山道を走ることの違いについて、一つひとつ言葉を選びながら丁寧に話してくれました。

特に印象的だったのは、「トレイルを走ると、新しい自分になれるような気がするんです」という言葉です。確かに、自然のなかを走ると、肉体的にはもちろん、精神的にも研ぎ澄まされる何かがあるんですよね。自分を見つめながら、克己心とともに新しい一歩を踏み出す。コースを走っている間は、自分の甘えや驕りが浮き彫りになるような感覚をおぼえました。それは僕にとっても意義深いことでした。

彼女はパッと見の印象こそ明るいのですが、ふとした表情にどこか陰があって、そのギャップに惹かれました。といっても、僕も離婚の傷が完全に癒えているわけではなく、この数年、女性に対して心でブレーキをかけてしまう状態にあったのです。しかし、走り続けたことが自分に新しい一歩をもたらしてくれたのかもしれません。

まっすぐ彼女に対して心が開いていく感覚を覚えました。

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近くの参加者と彼女が歓談しているときに、「今日は子どもを預けてきた」と話していたので、何気なく「今日はパパさんがお子さんの面倒を見ているんですか?」と聞くと、彼女は一瞬間を置きつつも、「子どもは実家です。私、少し前に離婚してシングルなんです」と、笑顔でサラッと答えてくれて。
そう言われて彼女の左手を見ると、確かに指輪をしていませんでした。「そうなんですね」と何気なく応じましたが、気持ちは複雑でした。自分にもチャンスがあるかもしれないと思う反面、離婚を経験した辛さを想像できたからです。そして、<同じ理由で傷ついたことがあるから惹かれるのかもしれない>と、妙に納得しました。

僕はそこで間髪入れずに「じつは僕もバツイチなんです」と伝えると、どこか仲間意識を持ってくれたみたいで、LINEのIDもスムーズに交換できました。そのとき、他の参加メンバーは“おっ!?”って感じの顔をしていましたが、茶々が入ることもなく、温かく見守ってくれていました。
まあ、ふたりともいい大人ですからね(笑)。その日は、久しぶりに胸が高鳴るような気持ちを味わいました。帰宅して夜を迎えても、なかなか寝付けませんでした。

離婚経験者同士だからこそ抱く、親近感と思いやり “家族の喜び”を感じ、惹かれていく心

Chapter.13

でも、その後、なかなか関係が進展しませんでした。それほど日が経たないうちに勇気を出して、「今度、一緒に走りに行きませんか?」とトレイルランに誘ったのですが、続けて2回も断られると、さすがに心が折れかけました。でも、どうしても順子さんの存在が気になる。そこで、時間を空けて改めてメッセージを送りました。すると、初めて返信が来ました。「子どもも、連れて行っていいですか?」と。

もちろん異論はありませんが、その理由が気になります。単純に、そう何度も実家に子どもを預けるのは難しく3人で出かけたいと言ったのかもしれません。もしくは、勘が鋭そうな彼女は僕の好意に薄々気づいていたはずで、断るための口実とも解釈できるし、<アプローチをされる前に、私の現実を見せたい>という気持ちからの申し出という可能性も考えられます。

ただ、お子さんがいるとなればトレイルランは難しいはず。そこでハイキングを提案すると、「いいですね!」とのレス。このメッセージで、子どもを連れていきたいという理由が僕の誘いを断るための口実ではないことがわかり、すごくホッとしましたね。場所を高尾山に決め、5月最終週の土曜日に出かけることになりました。

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当日の集合時間は午前9時。期待と緊張がないまぜになった気持ちで電車に乗り、目的地を目指しました。新宿で京王線に乗り換え、車窓から景色を眺めながら過ごします。京王線沿線はじつに表情豊かで、昔ながらの商店街が栄える街もありますが、23区の外に出ると、東京都内とは思えないほどの緑あふれる景色が見えてきます。いつかこの辺りの郊外に小さな家を構えて、順子さんとお子さんと……などと、やや先走った夢想をしてしまいました。

高尾山口駅には8時半過ぎに到着しました。改札近くで待っていると、一本後の電車で順子さんが娘さんの手を引いてあらわれました。彼女は僕を見つけるとニッコリ笑ってくれて、目じりに皺が刻まれました。
この皺が、酸いも甘いも嚙み分けた大人の女性の象徴のように見えて、とりわけ美しく感じられます。そんな順子さんに「ほら、自己紹介は?」と促されたお子さんは、「大石千夏です!」と元気にあいさつしてくれました。おしゃまで照れる様子もなく、「ゆうじさん、ゆうじさん」と話しかけてきてくれます。オカッパ頭がよく似合う、とても可愛いらしい子でした。

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僕たちは清滝駅からケーブルカーに乗って高尾山駅まで移動し、5歳の子どもでも登れる1号路で山頂を目指しました。千夏ちゃんは元気いっぱいで、長く続く石段もピョンピョンと跳ねるように駆け上がっていきます。そして、約1時間のハイキングで無事山頂にたどり着きました。
僕は結婚していたときに子どもを授からなかったので、千夏ちゃんと過ごすのは貴重な体験でした。千夏ちゃんは、やりたいことに喜怒哀楽全開で無心に向かっていく。実直でストレートな感情表現を見るにつれて、大人になる過程で自分がどれだけ狡猾になったかを考えさせられました。

絶景を眺めたあとは、レジャーシートを敷いて昼食です。順子さんが早起きしてつくってくれたサンドウィッチをみんなで食べました。順子さんも「久しぶりにちーちゃんとお出かけができたのも、勇次さんのおかげです」と喜んでくれて、無性にうれしかったですね。

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ふと気づくと、千夏ちゃんは食べかけのサンドウィッチを片手に、こっくりこっくりと船を漕いでいました。その無邪気な寝顔を見て、僕と順子さんは顔を見合わせて笑いました。早起きして一所懸命歩いたから、だいぶ疲れたんでしょうね。下りは、僕が千夏ちゃんを背負っていくことにしました。順子さんは「ご迷惑をおかけします」と恐縮していましたが、まったく迷惑ではありませんでした。交際を申し込んだわけでもないのに気が早すぎるのですが、順子さんや千夏ちゃんと本当の家族になれたような気がして、心の中でガッツポーズをしていました。

そして、駅で別れるときに、千夏ちゃんが「ゆうじさん、また遊ぼうね!」と言ってくれたんです。もう、なんてナイスなアシストなんだ!と、飛び上がりたいような気持ちでした。
「また三人でお出かけしたいですね」というと、順子さんも「ぜひ!」と笑顔で応じてくれて。家に戻ってからも、彼女の笑顔をつい思い出し、他人が見たら気持ち悪いくらいニヤけていたと思います。

順子さんとの出会いは、恋愛について改めて考えさせてくれました。
それまでは、恋愛はまやかしや演技の要素がどうしても入り込むもの、と思っていました。でも、裏表のない順子さんとなら、駆け引きが苦手な僕でもストレートに思いを伝えあうことができるんじゃないかという予感がしたんです。それに、離婚経験者であるという共通項が、僕たちの関係に少なからず作用しているように思えました。離婚を経験したことで、結婚していた頃に比べ異性に対して寛容に接することができている自分に気づいたんです。これは大きな発見でした。

自分は変われるかもしれない、という気持ちが沸き起こってきました。

好きな人ができると、生活にハリがでてきます。仕事のやる気も倍増です。記事を一つ書くにも身が入るようになり、SNSなどで雑誌の評価を検索してみると、以前に比べ反応してくれる人が増えるようになりました。もちろん、その程度で過ちは帳消しにならないし、職場の人間関係は相変わらず冷ややかではありますが、今の自分は会社に貢献するためにまっすぐ努力するしか道はない。そんな思いで、無我夢中で仕事に打ち込みました。同僚の評価は変わらないけれど、自分自身が大きく変化していく確かな実感がありました。

新たな出会いから、新しい人生が始まろうとしている勇次。次回は勇次に更なる試練が訪れる……。
彼を待ち受ける次のリライフとは。

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