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Tokyo go my own way | シニアダンスチーム Japan Pom Pom代表 滝野文恵さん

まずは昔のお話から聞かせてください。大学時代はどんな生活を送っていたんですか?

Question.01

最初に短大へ2年行ったあとに、関西学院大学の英文科へ編入したんです。短大にいた頃、たまたま関西学院大学の馬術部の練習を見る機会があったの。それで、もともと運動が好きだったし、自分もやりたい! と思って。大学生の頃はほとんど遊んでいたわ。朝から馬術部の練習へ行って、夜は社交ダンスをして…。とっても楽しかった。
当時、大学へ行く女性なんてほんの一握り。私のいた学科は、同じ学年に女性は10人ほどでした。高学歴の女性は結婚できない、なんて言われていた時代だった。

卒業後は何をされていたんですか?

Question.02

アメリカへ留学していました。大学卒業後の1954年、終戦直後でしたね。人や建物…とにかく、全てのスケールが大きい。こんなに大きな国と戦っていたのか、と衝撃を受けたのを覚えてるわ。あと、トイレットペーパーにも驚いた。当時の日本じゃ、資源が足りなくて新聞紙を使っていたから。それが、あちらの国じゃ公衆トイレにも備えてあるんだもの。今聞いたら笑っちゃうかしら。

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大学時代、馬術部で練習をする滝野さん

留学後はどんなことを?

Question.03

留学後は、住友金属で1年半ほどお勤めしました。そのあと、結婚。最初は関西にいたのだけれど、夫が東京へ転勤になったので、30歳の頃に二人の子どもを連れて、東京へ移りました。1962年あたりかな。朝から市場が開いてなかったり、値引きしてくれなかったり、お買い物の勝手が違うから、最初は戸惑ったわ。「東京の人は商売が下手ね~」なんて、よく言ってた。まあ、戸惑ったのは私だけじゃなかったみたいね。東京の文京区へ移り住んだとき、派手なのが来たぞって噂になったらしくて(笑)。夏場にショートパンツを履いていたからでしょうね。もともと住んでいた神戸の芦屋なんかじゃ、あんまり目立ってなかったと思ったんだけど。

ご結婚されてから、専業主婦をされてたんですよね。子育て中に熱中していたことは?

Question.04

子育て中は、帽子づくりやお習字、ゴルフ、木彫り…いろんな習い事をしていたわ。飽きたらすぐやめて、また新しいことを始めて。それと車に乗ることも大好きだった、運転が大好きなのよ。留学から戻ってすぐに免許を取って、東京に来たときに義母が車を買ってくれました。どこへ行くにも、車じゃないと出かけなかったくらい。もう免許は返上してしまったけれど、子どもが小さいころは休みのたびに車で関西の実家へ帰っていたし、53歳で2回目に留学したときは、お友だちと一緒に車でアメリカを縦横断したわ。ほぼ私が運転したのよ。

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人生の転機は?

Question.05

52歳のとき、子どもたちが自立したタイミングで、家を出たんです。結婚生活に向いてなかったのね。もちろん、夫は反対したけれど、二人の子どもが応援してくれました。「お母さんがそう言ってるんだから、好きにさせてあげなよ」って。言い出すタイミングはすごく迷ったけど、待ち続けても絶対先延ばしになるだけだと思って、言う決心をしたわ。物事にいいタイミングなんてなくて、思ったときにやるべきだと考えているから。

それから、何をしようかと考えて、再び留学を決意しました。2度目の渡米は、53歳のとき。アメリカの大学院で老年学を学んだわ。周りは年下ばかりだったけれど、不思議と浮いたりすることはなかった。他の学生さんも、働きながら学んでいる人が多かったからかしら。ノートを見せてあげたり、ディスカッションしたり…とっても楽しかった!
やっぱり自分の人生だから、最後に「ああ楽しかった!」って言って死にたいじゃない? だから、そうなるような決断をしたと思ってる。それで、何をするかって考えた結果が、こうだったんです。

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修士号の授与式の様子

チアダンスと出会ったきっかけは?

Question.06

63歳のときに、アメリカにシニアのチアチームがあることを本で知ったの。それに感激して、自分もやってみたいと思ったのよね。本に載っていた街の郵便番号を知っていたので手紙を出したら、奇跡的にチームのリーダーへ手紙が届いて、文通が始まったんです。シニアチアチームがあるのは、アメリカのリタイアメントした人たちが住んでいる街なの。それで、どんな風にチームを運営しているかとか、活動の写真を送ってもらったりして、それがきっかけで、自分もシニアチアチームを作ろうと思いました。文通はもちろん英語だったけれど、留学していたから全然苦じゃなかったわ。

チーム結成までのエピソードを聞かせてください

Question.07

いざ始めようと思ったとき、10人くらいのお友だちとお食事へ行って、写真なんかを見せて、誘ってみたの。こういうことしたいんだって。そうしたら、そのうちの半分のお友だちが首を縦に振ってくれた。それからすぐ、近くの大学へ行ってチアチームを探したんだけど、バトン部しかなかったのね。それでバトン部へ行って、キャプテンの子に「教えてちょうだい」って直接お願いしに行ったの。それが、23年前のこと。
チームを始めて以来、練習場の手配や、アメリカへの衣装の外注、お直しなんかも、全部自分たちでやってるわ。一回、私がホームページを作ろうとしたことがあったんだけど、どうしても上手くいかなくて。他の人に任せちゃった(笑)。いろんなメンバーがいるから、大体どうにかなるし、助けてくれるのがいいところよね。

練習の頻度は?

Question.08

毎週月曜日に、2時間から2時間半ほど行っています。お仕事がある方もいらっしゃるから、夕方からスタートなの。ほとんどノンストップで練習してるわよ。
今のチームの平均年齢が70歳で、半分以上が70代の方。だから、レベルを落とそうと思えばいくらでもできるだろうけれど、コーチの先生には、練習メニューのレベルを絶対に落とさないでほしいと伝えているんです。それって、私たちにはやっぱり厳しい。それでも、平均年齢70歳が年齢相応の踊りをしていたんでは、誰も観たくないでしょ。「これはやりすぎよ~」って、ちょっと後悔するときもあるけどね(笑)。

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周りの反応は?

Question.09

慎ましくしていればいいのに、何をしてるんだって言われることもあるわ。こんなおばあちゃんが足を出して、キンキラキンの衣装を着てるってことに耐えられない人も、やっぱり一定数いるわよ。だけど、楽しいからやってるのに、なんで人から言われてやめなきゃいけないの? だから、なんとも思わない。何を言われてもいいの。
でも、見に来てくれる方がいるし、私の子どもたちも応援してくれてる。子どもたちに関しては、私がもともと変だから今さら何も思わないみたい(笑)。

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普段はどんな生活をされてますか?

Question.10

チアがないときは、ウクレレの習い事やお花を生けたりしているわ。あと、エレキギターも練習中。習い事がないときは、家でだいたいトランプのテレビゲームをしてるかな。ミステリー小説も好きで、最近Kindleをプレゼントしてもらったし。お料理も好きよ。そうね、あとは老年学に関するNPO法人で会報も制作したり…こう思うといろいろやってるわね(笑)。独り身だから気楽でしょう、なんでもできるのよ。

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座右の銘を教えてください

Question.11

「ダメで元々」。私なんか、失うものが何もないから。やってみたいことがあったら、まずやってみる。やると何か起きるかもしれないじゃない? チアダンスだって、こんなに続いているんだもの。今の人は、何もしてないのに人の目を気にしすぎ。もっと好きなこと、楽しいことをしたらいいと思う。

これからの目標は?

Question.12

2020年の25周年記念公演の成功。これまではずっと運営として関わっていたんだけど、次回記念公演は出演も運営も、他の人に任せてみようと考えてます。同じ人がずっと上にいるのって、やっぱり良くないと思うから。今までも、いろんな役割をみんなで分担してこれたから、できる人が出てくるはず。きっと形は変わるけれど、Japan Pom Pomが続いていったらいいなと思うから。だからみなさん、オリンピックはテレビで、私たちの公演は是非会場で観てね!

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キラキラした瞳で、過去から現在までの軌跡をお話してくれた滝野さん。
練習中の動きは、今年86歳とは思えない俊敏さ! 後悔しないために、全力で目の前にあることへ向かう姿が、なんだか眩しかったです。

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