Relife mode

Relife man | 35歳出版社勤務、昇格と引き換えに失った、 大切な友。親友との絶縁からのリライフ

離婚の悪夢から逃れたくて、打ち込んだ仕事と暴飲暴食の日々 気付けばプラス20kgにまで

Chapter.07

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離婚後はとにかく妻との思い出から逃げるような生活をしていましたね。とにかく仕事に打ち込みました。暇ができると嫌なことを考えてしまうので、とにかく仕事に没頭しましたし、引越しもしました。

新しい住まいは、東中野駅から徒歩5分ほどの小さなアパート。寝に帰るだけだし誰が遊びに来るわけでもないと割り切って、1DKの小さな部屋を選びました。
離婚の時に家具はほとんど妻が引き取りましたので、あるのは冷蔵庫と洗濯機くらいのもので、街の喧噪とは対照的に、殺風景を絵にしたらこうなるだろう、というような部屋でした。なんとなくベランダにはゴムの木を置いていました。(家にあったものと言えば、本当にこのゴムの木だけでした。)

妻と同じフィールドに立ちたいがために転職した出版業界でしたが、幸いにして業務は面白く、上司や同僚にも恵まれました。
配属されたのはグルメ情報誌の編集部。インターネットの隆盛で、おいしいお店を探すために雑誌を買う人の数はどんどん減る中、オリジナリティのある個人店のみを紹介し、料理や店主のバックグランドを細やかに伝え、口コミサイトとの差別化を図ろうというのが編集部の方針でした。

編集する上で何よりも大切なのは飲食店のリサーチです。自らの舌で料理の味を確かめ、取材申請するかどうかを決定しなければいけません。
雑誌の発行は毎月。特集する料理やエリアが決まったら、まずやるべきは、昼夜問わずにさまざまなお店を食べ歩くことです。4軒続けてラーメンとか、カレー、カツ丼、お好み焼きをハシゴしたりとか。

もともと食は太くないんですが、なんであんなに食えたんだろう。仕事に真剣だったのもありますが、食べることでストレスを発散してたんでしょうね。
仕事に没頭する毎日の中で、離婚の辛さからも解放され、自分が新しい自分に生まれ変わっていく実感がありました。この仕事が向いていたのか、僕が担当してから雑誌の売上は上昇。来る日も来る日も食べに食べ、食レポを書き続けました。人生が面白くなってくる予感のようなものを感じました。もう一度人生楽しくなってくるんじゃないかって。でもそれと引き換えに体重は増え続け、わずか一年で気づけばプラス20kg。見た目はもう別人。

前の妻が僕を見かけても分からなかったでしょうね。

新宿西口カウンター8席の焼き鳥屋 生まれた独り者同士の連帯感 毎日がこんなにも楽しいなんて

Chapter.08

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同僚とも次第に打ち解けていきましたが、特に親しくなったのは同じ中途入社だった濱口でした。
濱口は1歳年上で、前職は飲食関係。口数は少ないものの洞察力に優れていて、歳のわりには驚くほど舌も肥えていました。彼は、グルメ情報誌のフレンチの担当として大活躍。取材に出向けば高級店のシェフとも対等に渡り合い、読み応えのある記事を量産していました。

3年交際した彼女と別れたばかりの濱口とはウマが合い、仕事帰りにはよく飲みに行きました。行きつけは、職場からほど近い新宿駅西口の思い出横丁。カウンター8席のこぢんまりとした焼き鳥店が行きつけでした。

いろんな話をしましたね、互いに妻、元カノの愚痴を言い合ったり、別の女の話をしたり、特に、仕事の話を2人で熱心にしました。よく朝まで飲みました。30過ぎでこんなに何でも話せる親友が出来たことを心から嬉しく思いました。妻はいなくても、こうやって友人と毎日酒を飲んで自由に生きる人生もいいじゃないか、と。自分に自信も戻ってきました。

濱口はアイデアマンでした。
匿名で客に対する店主のホンネを載せる企画や、売れっ子タレントに密着して3日間の食事をすべて紹介する企画など、まわりが思いつかないユニークなアイデアをいつも思いついていました。
飲みながら彼のアイデアを聞いては関心し、僕も濱口のような企画を考えられるようになりたい、と酔いながらにいつも語っていました。あるとき話に出たのが、「特集店を舞台に複数の作家に短編を執筆してもらう」という企画。グルメ情報誌の新しい形だと僕も絶賛をし、2人で盛り上がりました。

俺たち一生肩を並べて飲んでるだろうなって話してたのに 友に犯した取り戻せない過ち

Chapter.09

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それからしばらく経った頃、僕は濱口の話していた案をベースに「小説短編集〜新宿西口、飲食店物語」と題した企画書をつくり、編集長に提出しました。

今となっては、なぜそのような露骨な行動をとったのかうまく思い出せません。
ほぼ同じ時期に入社した濱口に水をあけられ、焦っていたのは確かです。うしろめたさはありましたが、アレンジを加えたのだからパクリではない、と自分に言い聞かせました。2人で盛り上がった話だし、元のアイデアは濱口だけれど、自分も膨らませたところがあるから、と。それに、もし企画が通ったら濱口と一緒にやれば楽しいじゃないか、と。
結果、企画は絶賛されGOが出ました。濱口はというと編集会議で、呆然とした顔をしていました。
理不尽な現実を目の当たりに言葉も出ないといった様子で、会議中は何も言わず、うつろな目でぼんやりと企画書を見つめていました。いつも積極的に発言する彼が黙っていたことから、彼に負わせた傷の深さがうかがい知れました。

僕は濱口に弁解しようと思い、会議が終わってすぐにLINEを送り、「話があるから、今夜飲みに行かない?」と誘いました。メッセージは既読にこそなったものの、いつまで経っても返信はありませんでした。

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取り返しのつかないことをしてしまったと、大いに悔やみましたが、やってしまったことは仕方がないと、その後は気持ちを切り替え、多少のやましさを感じつつも張り切って編集しました。その結果、反響は上々。企画は連載になり、連載をまとめた書籍も発売されました。

そして転職してから2年が経った頃、編集長に食事に誘われました。
「副編集長としてがんばってほしい」。
そう言われたときは嬉しかったですね。苦労が報われた、と。濱口や他の同僚たちは、まだ平の編集マンのままで、まさかの抜擢でした。
副編集長になれた僕ですが、部下からは薄氷のような人望しか得られませんでした。理由は、編集部内に「副編集長は人の企画を盗用する」という噂があったためです。他にも、ありもしないセクハラ、パワハラなどいろんな噂が飛び交っていることも耳にしていました。

もちろん、濱口とも絶縁状態です。業務上の連絡でやむなく話さなければいけないときもありましたが、事件以降、濱口は僕に対して敬語を使うようになりました。
その話しぶりは嫌味なくらい丁寧で、親密さのかけらもありません。もっとも親しかった人間にも突き放された僕は、孤立無援の状態でした。
会社のため、友人のために良かれと思って取った選択は、自分をどこまでも惨めに陥れました。
大好きな友も、必死に培った信頼も失い、残ったのは20kgも太ってしまったこの身体だけ。また空っぽの自分に戻ってしまいました。

生まれ変わるために懸命に頑張ってきたつもりでしたが、いつの間にか自分の出世ばかりを考える人間になっていたなんて。

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親友の杉山に悩みを相談することも何度か考えましたが、仕事にばかり打ち込んで誘いを断り続けていたため、躊躇してしまいました。
「大丈夫。おれは、大丈夫。」

離婚したときと同じように、この言葉を自分に言い聞かせる日々が続きました。自らが招いた事態を打開するまでに、歯をくいしばって耐えなければいけない。

会社と自宅を往復するだけのさみしい毎日が過ぎていきました。

新天地だったはずの職場で孤立無援になってしまった勇次。「大丈夫」という言葉をまた唱える日々。どん底の所から新しい人生は動き出す。次号は、親友を失った絶望から立ち直った勇次の3年後の姿に迫ります。

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