Relife mode

Relife man | 40歳出版社勤務、人生転がり続けた男の物語小説 最終章。勇次、最後のリライフ。

移住の想いと、順子さんへの想いの葛藤 勇次の決断は…

Chapter.16

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母の死をきっかけに、僕は東京から離れることを真剣に考え始めました。

移住先として真っ先に思い浮かべたのは、岐阜の郡上八幡です。
初めて訪れたのは、大学時代の夏でした。地元出身の友人に誘われて、郡上おどりを見物に行きました。そして、まるで磁石のように場の持つ力に引きつけられてしまったのです。

山々に抱かれた郡上八幡は、豊かな水の恩恵を受ける町です。人々が夜通し踊るさまは、得も言われぬエネルギーに満ちていて、夏の郡上おどりの間は全国からたくさんの人々がやってきます。僕も夏は欠かさず郡上おどりを訪れるようになり、回を重ねるごとに郡上八幡に魅入られていきました。
友人から紹介された地元の人たちとの交流もでき、その中には農業や林業に携わっている人もいます。
もしこの街に住むことになったら、仕事を紹介してもらうこともできるかもしれない。そう考えると、期待で胸が膨らみました。

ただし、ひとつだけ気になることがありました。それは、順子さんです。
正直にいえば、僕は順子さんにぞっこんで、できるのなら今すぐにでも結婚したいと思っていました。でも、順子さんは離婚後、努力して東京に生活の基盤を築き、千夏ちゃんを大切に育てています。そんな彼女に、ゆかりのない土地で一緒に暮らそうなんて軽々しく言えるはずもありません。

ある日の夜、僕は郡上八幡への一泊旅行を順子さんに提案しました。時期は、徹夜踊りが行われるお盆の期間。もちろん、千夏ちゃんも一緒です。LINEのメッセージはすぐに既読が付き、<いいですね! 詳しい話を聞かせてください!>と返信がきました。
順子さんと初めての旅行だし、郡上の魅力を知ってもらえるし、嬉しくないわけがありません。
ただ、<宿泊費と交通費はこちらで持たせてください>という提案は、<気持ちはうれしいけど、そこはワリカンで!>と断られました。こういうところが、順子さんの魅力のひとつだと思いました。

旅行の日取りは、8月15日・16日になりました。
僕は前日に大阪の実家で初盆の法事を済ませ、岐阜駅で順子さんたちと落ち合うことにしました。千夏ちゃんから「ドライブをしたい」というリクエストがあったため、岐阜駅からレンタカーで郡上八幡まで行くことにしました。

郡上おどりの夜に打ち明けた本当の気持ち 車中で交わされる互いの決意を込めた会話 その先には…

Chapter.17

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長良川を眺め、緑の濃い山道を抜けて一時間もすると、郡上八幡に到着です。
車を駐車場に止めて、ぶらぶらと散策しました。町中には水路が張り巡らされていて、じつに涼やかです。順子さんも気に入ったようで、「初めて来たけれど、いいところですね」と言ってくれました。そして、僕が「将来的には、こういう町で暮らしたいんですよね」と話すと、「私も憧れるなあ。子育てにも向いてるし」と声を弾ませて応じてくれます。思わぬ好感触に、心臓が早鐘を打ちました。

千夏ちゃんは、地元の子どもたちが橋の上から吉田川に飛び込んでいる様子を見て、「私もやってみたい!」と、上目遣いで順子さんを見ます。が、「もう少し大きくなってからね」と止められ、ちょっぴり不満そうでした。「ゆうじさん、お母さんにたのんで~!」とせがまれましたが、ママがいる手前、僕からは何も言いません。ただ、順子さんに似た千夏ちゃんの凛々しい性格がよく分かり、微笑ましく感じました。

お盆の4日間は郡上おどりの山場で、訪れた人々は夜から早朝まで夜通しで踊り続けます。
はじめは夜店に夢中だった千夏ちゃんも、にぎやかなお囃子に心を惹かれるようで、浴衣姿で軽快に踊る人たちを食い入るように見つめています。

「みんなで一緒に踊りませんか?」

僕はふたりに声をかけ、率先して踊り始めました。順子さんも千夏ちゃんも見様見真似で体を動かし、弾けるような笑顔を見せてくれました。僕は僕で懸命に踊りながら、ふたりと一緒にこの町で暮らしたいという思いが、さらに高まりました。

千夏ちゃんが眠くなるタイミングを見計らって、日付が変わる前に車に乗り込み、ホテルを目指しました。近隣の宿泊施設がどこも取れなかったため、岐阜駅の近くに宿を取っていました。

「楽しかったなあ」

順子さんはひとり言のようにそう言いました。僕は黙って車を走らせていましたが、意を決して話し始めました。

「順子さん、僕、遠くないうちに郡上八幡に移住しようと思っています」

「え、そうなんですか?」

「はい、自然の豊かな場所で暮らすことにずっと憧れていたんです。この前の話を聞いて、人生“いつかは”と思っているだけじゃダメだなって。」

「そうですか……」

「仕事はどうにでもなると思っています。知人のツテがないわけもないし。それに、もしできたら……」

「できたら?」

「できたら、三人で暮らしたいと思っています」

勇気を振り絞って切り出しましたが、返事はありません。
車内には沈黙が広がり、後部座席から千夏ちゃんの寝息だけがかすかに聞こえます。

「……今すぐは無理です。千夏と友だちを急に引き離すのもかわいそうだし……」

順子さんは今にも消え入りそうな声で言いました。

「そうですよね。突然すぎますよね」

努めて明るく返事をしましたが、その場からすぐにでも消え去りたいほどショックを受けていました。

驚くほど清々しい、水と空気 郡上八幡の暮らし 勇次がついに手にした新たなる人生

Chapter.18

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けれど、東京へ帰っても移住への決意は揺らぎませんでした。
盆休み明けにはすぐに辞表を提出し、9月末で退職することが決まりました。辞めるまでの間、郡上の友人と連絡を取り合って新居探しを手伝ってもらい、退職したらすぐに引っ越せるよう準備を進めました。
バタバタのなかで順子さんとの連絡は途絶えていましたが、未練よりも新生活への期待が上回り、どこか清々しい気持ちでしたね。

郡上での滑り出しは快調でした。
会社員時代の人脈を活かしてモバイルワークをしつつ、借りた畑で地元の人に教わりながら有機農業を始め、コミュニティペーパーの構想も練り始めました。

郡上に来て良かったのは、水と空気がおいしいことです。たとえば、水道水で炊いた白飯が驚くほどウマいんです。人間関係も煩わしくなく、暮らしは快適でした。友人を通じて少しずつ知り合いも増えていき、徐々に生活が楽しくなっていきました。

ある晩、農業を営んでいる友人の森脇さんと飲んでいると、古民家を改築して農家民宿を始めようと思っている、という話題が出ました。森脇さんは、収穫した作物を使った料理を提供したり、宿泊客とともに農作業をすることで、郡上をより深く知ってほしいと、熱く語りました。
改築にあたっては、業者を入れずにセルフリノベーションをするから、手伝ってほしいと言うのです。
僕自身も、郡上のすばらしさをたくさんの人に伝えたいという思いがあったので、依頼を快諾しました。
そして、この話をもらったことで、コミュニティペーパーの方向性が定まりました。森脇さんのように郡上に根を張って暮らしている人たちの日々を、誌面で伝えようと思ったのです。

突然の訪問者 転がり続けてきた男の最終章

Chapter.19

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それからは、時間の空いているときにリノベーションを手伝うことになりました。
壁を抜いたり角材を運んだりするのは、なまっている身体には少々きつかったですね。それでも、森脇さんの夢が徐々に形になっていく過程を見るのは楽しいものでした。

10月も終わりが近づいている土曜日、いつものように手伝いの大工仕事に没頭していると、外にいた森脇さんから「お客さんだよ」と声をかけられました。
……そこには、順子さんと千夏ちゃんが立っていました。
そして順子さんが「これ、差し入れです」と、アイスクリームの入ったビニール袋を差し出してくれたのです。なんでも順子さんは、偶然にも僕と森脇さんがよく行く海鮮居酒屋で昼食を食べ、話の流れでマスターから僕たちの居場所を聞き出したそうです。
僕自身はふたりがなぜ突然現れたのかさっぱり理由がわからず、しばらく固まってしまいました。

ぎこちなくあいさつを交わし、三人でアイスを食べ始めますが、なかなか会話も弾みません。すると千夏ちゃんが、不意に話し始めたのです。

「ねえ、お母さん。いつこっちに引っ越してくるの?」

「ちょっと、ちーちゃん!」

この一言は本当に衝撃的で、飛び上がりそうになりました。
順子さんが千夏ちゃんに移住の相談をしていた、ということですから。

「……来てくれないのかと思っていました」

「私、“今すぐは”無理って言ったんです」

「そう……でしたっけ?」

「そうですよ。なのに、あれから一度も連絡してくれないんですもん」

順子さんはそう言って、拗ねたような顔を見せます。そして、おもむろに千夏ちゃんと話し始めました。

「ちーちゃん、春ごろになったらこっちに引っ越してこようか」

「夏休みになったら川に飛び込んでもいい?」

「もう少し大きくなったらね」

「やった~!」

「全然連絡をくれない人がいるから、ふたりで暮らそうね」

やはり、順子さんは根に持っているようでした。

「い、いやいや、そこは三人で!」

あわてて僕が口を挟むと、順子さんは「どうしようかな~」と意地悪く言いました。
それを見ていた千夏ちゃんも、意味もわからず「どうしようかな~」と真似をします。
ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。

遠くから心地いい清流のせせらぎの音が、聞こえてきます。
僕たち三人の脇を、爽やかな風が静かに通り抜けていきました。

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【完】

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