いえ白書

賃貸?持ち家?蒸留家見習い 江口宏志さんの人生と家の話

自分の住む場所は「賃貸」か「持ち家」か。大人になったら多くの人が考える、悩ましい問題です。その答えは、本人の環境や家族によって導き出されるもの。正解も不正解もありません。書店経営を経て、現在は蒸留所の設立を準備中の江口宏志さんの場合はどうでしょう。「賃貸」と「持ち家」の両方を経験されている、江口さんならではの意見を聞いてみました。
30代の頃、仕事場も兼ねて購入した中目黒の古いマンションに住んでいました。駅前だったので、飲食店や川沿いの散歩道などの外の要素が、家や仕事場の拡張のようにも感じるというか。それは都会のマンションの住みやすさだったように思います。だけどずいぶん古い建物だったし、夜まで賑やかな街だったこともあって、子供が生まれた時、これからここで子育てをするのもなぁ、という気持ちになったんです。家族で暮らす、特に子供が小さいときは、うまく外の要素を活かせないので、どうしてもフラストレーションが溜まってしまうだろうなと。結局その物件は人に貸すことにして、現在の平屋の一軒家を借りることにしました。場所は田園調布。周りに飲食店も少なく、静かな住宅街の一角。庭が広くて、奥さんも僕も居心地がよいと感じたことが決め手です。一軒家に暮らす憧れもあったと思います。どうやら以前住んでいた住人が絵描きだったらしく、奥さんの絵や、僕が持っている大量の本を保管しやすい倉庫がすでに備え付けられていたことも嬉しいポイントでした。決して、高級住宅街である田園調布にマイホームを買い「一生ここに住むぞ!」という大げさな発想はなく、その時点で、新たに家を買う選択肢はなかったですね。マンションを人に貸しながら、賃貸の一軒家でのびのび住む、という生活を選びました。
その後、僕にとって大きな転機が訪れます。不思議なご縁が重なって、ドイツの山奥にある知り合いの蒸留所を訪ねる機会がありました。その日を機に、彼の作るブランデーの世界に深く魅了されてしまい、程なくして、その蒸留所に住み込みで、ゼロからお酒作りの勉強をさせてもらうことになったんです。半年ほどの修行を経て、東京に戻りました。本を扱う仕事から一転、この春からは、千葉県の大多喜町という場所に拠点を移し、広大な薬草園の跡地を借りて、蒸留酒の事業を始める決意をしました。家族の居住空間は、敷地内の建物をリノベーションする予定です。「売るなら今だ」と、中目黒の物件も手放しました。事業の立ち上げにもまとまったお金が必要ですし、こういうときに、都内に売れる物件があるという状況はありがたかったですね。
僕の場合はかなり特殊な例ですが、家族構成が変化したり、生活・仕事が変化したりするときに、同じように変化できるのが賃貸の良さかなと思います。当たり前ですが、家や住む場所って、その時の生活や仕事と密接にリンクしているもの。生活や仕事に合わせて住む場所を選ぶ、というやり方もあれば、社会学者のリチャード・フロリダが『クリエイティブ都市論』で書いているように、住む場所が人の創造性や関係を規定する、という一面もあります。どこでも仕事ができる時代だからこそ、わざわざこの場所に住む、この家に住む意味というのが大切になってくるのかなと思います。簡単に移動できる賃貸もいいですが、その場所に留まってじっくり関係性を築いていく持ち家も面白い。結局、家はお金と同じように何かをするための手段で、自分に何がしたい(どういう生活がしたい)のかというのが問われるし、それをわかりやすく目に見える形にしたのが家なのではないでしょうか。
江口宏志さんが考える、賃貸と持ち家の比較
・賃 貸 ・持 ち 家
良いところ
  • 家族や仕事の変化に応じて身軽に転居できる
  • 新しい環境に移る楽しさ
  • 高額な頭金は必要ない
  • ゆくゆくは家が資産となる
  • 好きにリノベーションできる
  • 売ったり貸したりできる
悪いところ
  • 住み替え、更新手数料がその都度かかる
  • 自由な間取りやイメージに改造ができない
  • 高齢になっても賃料を払い続けなければならない
  • 新築は売却時に購入時よりも価値が下がることがある
  • 地方や郊外には簡単に売れないエリアもある
  • 家族が増えた時に簡単に間取りを変えられない
江口宏志
えぐち・ひろし/長野県松本市生まれ。2002年、ブックショップ「UTRECHT」をオープン。09年より「THE TOKYO ART BOOK FAIR」のディレクターを務める、書籍や広告の編集や、雑誌、ウェブサイトでの執筆も行う。著書に『ハンドブック』(学研)、『ない世界』(木楽舎)、『注釈・城崎にて』(NPO 本と温泉)など。 2015年、THE TOKYO ART BOOK FAIRのディレクター、UTRECHT代表を辞任。ドイツの蒸留所でフルーツやハーブを使った蒸留酒造りの修行を経て、帰国。2017年春から、千葉県大多喜町ではじめる蒸留所造りの事業に向けて準備中。
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